ようこそ新道山家へ

ご挨拶

亭主 川島利雄 敬白

女将と料理長

会席料理

四季を感じる和の心

新道山家の会席料理は季節の移ろいを旬の食材と巧みな器遣いで色鮮やかに表現しております。

新鮮な食材はもとより、仕込み水の産地にまで拘って創りあげるお料理を、みなさまでお楽しみください。

伝統の手法を基本にしながら、常に新たな切り口で日本料理を追究しております。

茶碗蒸し

蟹真丈

お造り・包丁

照り焼き

日本建築の粋を集めた数奇屋造りで

お部屋はすべて日本建築の粋を集めた数奇屋造りとなっております。

旬の会席料理をごゆっくりと味わい、おくつろぎいただければと思います。

また、お部屋は個室となります。周りを気にせず、
お子様連れでも安心してお過ごしいただけます。

お部屋

小史

創業明治21年から今日までの歩みを振り返り、新道山家の小史をここに綴ってみました。なにかの折にお目を通していただければ幸いです。

新道山家は大宮で創業以来百余年を迎えることが出来ました。これも偏に皆様方のご愛顧の賜物と感謝申し上げます。

明治21年に初代川島路久(かわしまろく)が当地に小さな川魚料理店を開いたのが始まりです。同年に開通した岩槻新道にちなんで屋号を新道山家(しんどうやまや)としました。

新道山家 用水前景

当初はかなり苦労の連続でしたが路久は持前の機知と頑張りできりもりをしてまいりました。やがて大宮は大宮公園を中心とした観光開発に力をいれて東京を始めとする関東一体の観光客誘致に成功しました。

この機運に乗ってこの辺りは料亭20数軒、芸妓300名余りを数えるようになり東京の奥座敷として名を広めました。

初代 川島路久(1866~1924)
かわしまろく

武蔵野の風物を活かして造り上げた大宮公園は東都の名園と言われ氷川神社を取り巻く風雅な散策の道は森鴎外や寺田寅彦などの文人墨客に大いに愛された処です。

当時観光の目玉にと官民協力の基に見沼川で蛍を見せようと源氏蛍を養殖して放したところこれが大当りして夏場には宵ともなれば老若男女が挙って団扇を片手に蛍狩りを楽しむようになりました。当店は見沼川の辺の蛍を鑑賞できる料亭として評判になり順調に発展することができました。

大正13年二代目川島晴子(かわしまはるこ)は二十歳で跡目を継ぎました。その頃当店より一丁先の芝川の坂を上がったところに東京市長・逓信大臣を歴任してきた頼母木氏が絵や陶芸を楽しむための山荘を構え様々な分野の芸術家達が集まるサロンとなりました。 氏は特に書と陶芸に秀で自由闊達な作風の作品を産みだしそのいくつかは当家にも贈られて今でも大切に保管しております。

晴子はご夫妻に大変可愛がられ、夏は沓掛の星野温泉などにお供付で避暑に行くなどお世話になったそうです。

二代目 川島晴子 ( 1906-1985 )
かわしまはるこ

頼母木氏〔前列左6番目〕を囲んで 書家画家陶芸家達と共に桜の間にて。奥の鴨居に一望千里紅の額が見えます

晴子は事業継承とともに早くから都内進出を考えていました。都内に多数のご贔屓もあって昭和13年に東京銀座八丁目千疋屋裏に念願の料理店「やまや」を構えることができました。

15坪ばかりの小さな店でしたが苦労の甲斐あって徐々にお得意様がつき歌舞伎座の役者さんなども顔を見せるようになりました。 朝一番で築地に買出しに行って、店のしつらえをして料理の手配その後お風呂に入り髪を結って宵にはお出迎えと休む間もない毎日でしたが晴子は充実した青春時代を銀座ですごしました。

しかし折り悪く日華事変が始まり我国が暗い時代に突入した背景もあり残念ながら楽しい想い出に満ちた銀座店を閉店せねばなりませんでした。

銀座「やまや」で、お得意様の
三井物産の方が新橋の芸者衆と共に、開店 一年を祝う新年会を催していただいた時の模様。

銀座「やまや」 年賀状

終戦を迎えて昭和25年料理旅館として営業を当地で再開することができました。爾来大宮市を訪ねる方々や地元の皆様にご支援いただき昭和47年には本館が50年には新館が落成しました。

昭和60年三代目を川島利雄(かわしまとしお)が継承し今日にいたります。みなさまのご期待にお応えし常に料理の研鑽と設備の改良に勤めてまいりました結果、平成10年には政府登録国際観光旅館の認定を受けることが出来ました。これも偏にみなさまのご支援の賜と感謝いたします。

頼母木様の直筆 昭和5年晩秋
山家新築を記念してとあります。
一望千里紅は当店より見沼田園を望んだとき夕日が辺り一面を紅炎に染めた様子を漢語で詠んだものです。

今後とも末長く新道山家をご愛顧のほどお願い申しあげます。新道山家 亭主 川島利雄 謹白

新道山家の大欅(けやき)

新道山家の入り口には、推定樹齢350年の欅の大木が立っています。
この欅が根付いた頃はあたり一面は見渡す限りの湿地帯でした。
約250年前に江戸幕府の直轄で見沼用水の掘削をはじめ見沼田圃の大規模な
干拓事業が始まりました。

この欅はそうした人々の営みを見つめながら、
見沼川の水を吸ってすくすくと育ちました。

いまだに成長を続けて大きな枝をひろげ、
春は鶯、夏は郭公、秋はミミズクと鳥達の聖域と
なっています。
近年さいたま市の保存樹木に指定されました。
私共は代々にわたりこの欅を大切に
見守っていこうと思っております

けやきくんとこのはちゃんは新道山家の大欅に住んでいる妖精の兄妹です。
いつも欅の木の上からみなさまの安全と健やかな成長を見守っています。
美味しいお料理とふかふかの布団が大好きです。